世界で一番の奏え言

きらめきの欠片を抱きしめて生きる

ヲタ卒をされてしまった

友人が10年に渡るアイドルヲタク生活に終止符を打った。いわゆる「ヲタ卒」である。

Bouno!の横浜アリーナ公演で、ヲタクとしてやりきった気持ちになった、とその日には語っていた。まあ後々考えたら色々と理由はあるんだろうけど、実際そういうファーストインプレッションが真理だったりする、とわたしは思っている。

 

Hey!Say!JUMPのデビューと共に、ヲタクの仲間入りをしたわたしも今年でめでたくヲタク10周年なわけだが、その間同担や他担などなど沢山のヲタクと知り合い、”ジャニーズ”という共通言語を用いて仲を深めたはいいものの、ジャニーズのヲタク特有の文化である”担降り”*1により、疎遠になってしまうことも多くなった。

担降りに関しては、別にヲタクをやめたわけではなくただ単に応援する子を変えただけなのに、なんで疎遠になってしまうんだろう。とずっと疑問だった。まだ”ジャニーズ”という共通言語が使える世界にいるのに、視点を今まで応援していた子から新しい子へ変えるだけでコミュニティが変わってしまう世界。前は同じクラスで仲良かったはずなのに、クラス替えで別々になっちゃってなんだか話しかけづらい、そんな空気。きっとそれがジャニーズヲタクの世界なんだ、と言い聞かせていた。

ハロープロジェクトを応援するいわゆる兼ヲタになってはじめて「応援する対象が変わっても変わらぬ”ハロヲタ”という大きなコミュニティで繋がっている世界」を目の当たりにし、衝撃だった。あぁ、確かに応援の対象が変われども”ハロプロ”を応援していることには変わりない。男女比や年齢層の差から生まれる違いだろうが、わたしにはあたたかく居心地のいい世界に思えた。

 

じゃあヲタ卒は?これに関してはジャニーズもハロプロも同じことだ。いままでは当たり前に分かち合えていた気持ちが、片方だけしか存在しないものになってしまうの?「いままで」の話はできたとしても、「これから」の話はできないの?と、まるで突然恋人に捨てられたような気持ちになってしまう。

まだまだライブにも一緒に通いたかったし、新曲が出るたびにああだこうだ言い合いたかった。同じ熱量で応援していけるものだと思っていた。

女性アイドルのファンの友人が少ない故か、ひとりひとりに勝手に思い入れてしまっていて、繋がっていたものが失われると置き去りにされたような気持ちだ。

 

わたしがここまで担降りも推し変もせずにヲタクを続けてきたのって、蓋を開けてみると本人たちの純粋な魅力のほかに、このコミュニティから抜けたくないという気持ちもあったのだろう。

推している女性アイドルグループも変わろうとしている、変化に対応していこうときっともがいてる。わたしも、変わる時かもしれない。

*1:推し変と同意